(写真=大西二士男)
戦後、衰退した上方落語の復興に尽力し、
現在の隆盛に導いた「上方四天王」の最後の一人、
三代目桂春団治師匠(本名・河合一)が2016年1月9日、
午前0時11分に心不全のため、他界されました。
享年86歳でした。葬儀は親族と直弟子で営まれました。
春団治師匠は1930年に二代目桂春団治の実子として
大阪に生まれ、1947年に父に入門。桂小春を経て、
1950年に二代目桂福団治を襲名。
大看板だった父の死去後、29歳の若さで大名跡の
「春団治」を襲名しました。
故・六代目笑福亭松鶴、故・三代目桂米朝、
故・五代目桂文枝とともに戦後の上方落語の再興につとめ、
「四天王」と称されました。
「野崎」の出囃子で登場し、マクラをふらずに入る
落語は端正で品があり、絶妙な間が爆笑を呼ぶ完成度の
高い高座を誇りました。
また、山村流の踊りの名手で、しなやかで華麗な所作や
すっと落とすような美しい羽織の脱ぎ方も人気を集めました。
「代書屋」や「いかけや」、「皿屋敷」「お玉牛」
「野崎詣り」「祝のし」などの滑稽噺を得意とし、
踊りが入る「親子茶屋」の華やかな高座も観客を魅了しました。
2006年にオープンした天満天神繁昌亭の舞台にも
「四天王」の中で唯一、出演されていましたが、
3年前に体調を崩して以降は公の場で落語を
演じることはありませんでした。
ご冥福をお祈りいたします。
午前10時~11時は一般の方のご参列も可能です。